「裸婦像撤去の動きに広がる違和感 行きすぎたポリコレで文化や芸術は守れるのか」

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各地の公園や駅前に設置されてきた裸婦像が、「公共の場にふさわしくない」として撤去される動きが相次いでいる。高松市の中央公園では、少女の裸像を「見ていて恥ずかしい」という小学生の声や、有識者からの指摘を理由に再整備工事の際に撤去される方針だ。

裸婦像は戦後、軍人像に代わって「平和の象徴」として各地に広まった歴史を持つ。作者である彫刻家は「命の輝きを表現した作品だ」と撤去に反対しているが、市側は「児童の裸像が公共空間にあるのは望ましくない」と説明している。

確かに社会の価値観は変化し、児童の裸に対する目が厳しくなっているのは事実だ。しかし欧州では美術館や庭園に裸像が残され、文化や歴史の一部として尊重されている。日本だけが過剰に撤去へと傾けば、戦後の文化的遺産を自ら否定することになりかねない。

「見たくない人がいるから撤去」という流れは、芸術や表現を萎縮させる危険性をはらむ。裸婦像をめぐる議論は、社会が過度にポリコレ的な発想に傾いていないかを問い直す試金石となっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ff1bc59e8f4fff9c506dbeb8b401decfbc905b5?page=2

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